清涼寺(せんりょうじ)

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清涼寺

 当山は真言宗智山派に属し、石成山清涼寺(せんりょうじ)と号し、ご本尊は不動明王です。山号にある石成とは成増の旧名で、南北朝期から江戸時代前期にかけての文章や碑文にも使われている地名です。当寺は江戸時代に編纂された新編武蔵風土記稿に「開山は宥長と云う」と記載されており、寛仁三年(1019)に没した宥長和尚の墓碑が存在しています。中世の状況は墓碑もなくよくわかりませんが、元禄年間(1688~1704)より再び僧侶の墓碑が見られるようになり、江戸時代には三宝寺(練馬区石神井)の末寺となっていました。また、当寺は江戸時代より明治の神仏分離まで樋川神社(現赤塚四丁目)の別当寺でもありました。明治九年(1876)、ここに石成学校が開校し、翌年に公立の小学校となりましたが、明治二十四年赤塚尋常小学校の新設に伴い廃校になりました。境内には当寺の校長佐野蔵吉先生の頌徳碑があります。 

平成十五年三月 板橋教育委員会
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赤塚からちょっと足を伸ばして成増駅のほうに向かうと菅原神社があります。

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菅原神社の入り口です。
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細い石畳の菅原神社の参道を抜けると。。。
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菅原神社の本殿と、
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菅原神社の拝殿があります。
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菅原神社

 当社の御祭神はその名の通り菅原道真公を奉祀する。創建年代は不詳であるが、旧成増村の鎮守にして、明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。江戸時代には青連寺が別当になっていた。幕府編纂の地誌新編武蔵風土記稿には、「山王社」、境内にある延宝七(1679)年銘の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。このことから当社は、社号(神社名)がしばしば変更されていたようである。本殿は明治十七年八月に氏子の寄付金によって再建され、大正年間には拝殿が新築されている。

平成三年七月 板橋区教育委員会